2017年2月10日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 16章17〜20節 異端の教えについての警告

異端の教えについての警告 161720


教会では、その始まりの頃からすでに、
使徒の言葉によってではなく自分の意見に基づいて
教える者たちが大勢いました。
「こういう教師たちによく気をつけるように」、
とパウロは教会員たちに厳しく警告しています。
たとえば、
これらの教師には教え話す能力が十分にはなかった、
ということが問題だったのではありません。
それどころか逆に、
彼らは美辞麗句を並べては純真な人々を欺き、惑わせていたのです。

私たちの生きる現代は非常に宗教的な時代です。
信仰によって治療を施す者たち、
諸霊の力を借りる者たち、
瞑想を教える者たち、
教会に新奇な教えを持ち込む者たちなどが
至る所にあふれかえっています。

「私たちは聖書から受けた教えを守らなければならない。
それ以外のことを教える者たちには耳を貸してはいけない」、
というのがパウロの指示の内容です。
これが現代人にとってどのような意味を持つものか、
考えてみなければなりません。

すべての宗教性がキリスト教的なものであるとは、もちろん言えません。
また、「キリスト教」の名の下に一般には流通していることすべてが、
神様の御言葉に従っているものとも言えません。
「羊の衣を着たオオカミに気をつけるように」、
とイエス様は弟子たちに警告なさいました。
「ローマの信徒への手紙」の学びをこの警告の御言葉で閉じたいと思います。

この手紙でパウロは、
キリストの福音を混ぜ物のない輝かしいかたちで提示しました。
その核心には、
「罪深い存在である人間はキリストの十字架の死のゆえにその罪を赦され、
神様に受け入れていただける者となる」、というメッセージがあります。
誰であろうと、何であろうと、
この宝を私たちから奪い去ることがあってはなりません。
それゆえ、私たちは神様の御言葉の真理の中に留まる術を学び、
御言葉を前にしてキリスト信仰者としての良心を活き活きと保てるよう、
神様にお祈りする必要があるのです。