今回は受難週の意味を考えましょう。その核心はもちろん十字架です。
エルッキ・コスケンニエミ (日本語版翻訳編集 高木賢)
イエス様の十字架刑には周到な精神的かつ肉体的虐待が用意されていました。茨の冠はイエス様の頭を血だらけに引き裂いていました。退屈な一日を紛らすためにローマの軍隊たちは、本来人を打ちたたいて懲らしめるために用いられる棒を「王笏」としてもたせ、赤い道化の王様のマントを身にまとわせて、イエス様を「ユダヤ人の王」に仕立て上げてからかいました。こうして彼らはまた普段から侮蔑してきたユダヤ人たちに嫌がらせをしたのでした。このことはピラトが書かせたイエス様の死刑の理由(「ユダヤ人の王」)からも伺えます。当然のことながら王様は真ん中の十字架に付けられ、王の臣下たち[1]はその両脇にはりつけになりました。
真昼になってのどの渇きに苦しんでいる人に「飲み物」として差し出されたのはすっかりすっぱくなったぶどう酒でした。イエス様は異常なほど厳しく鞭打たれていました。おそらくまさにそのせいですでにたくさんの血を失っていたイエス様は精神的な苦しみとあいまって十字架上で力を失い、驚くほど早く死なれたのでした。(死期を早めるために)イエス様の脛骨を打ち砕く必要はありませんでした。というのは、死んで不自然に捻じ曲がったイエス様の身体は専門家だけではなく普通の人が見てもイエス様がすでに死んでいたことを告げていたからです。何の気なしに兵士がイエス様のわき腹を槍でつついたときに、そこから水と血が流れ出ました。現代の医学によると、死んだばかりの人のわき腹からは水と血が湧き出ることがありうるそうです。ローマの処刑者たちは「イエスは死んだのではなく実は気を失っていただけだ」と主張する者たち(そういう人たちがいるのです)に対してまともに取り合ったりはしないことでしょう。彼らは十字架上で死んだひとりの男を目にしました。この人の死の中に高貴さとか美しさとか素晴らしさなどを見出した者は誰もいませんでした。「ユダヤ人の王」として通報された者が苦しみの最期を遂げたのです。
十字架の血の福音
イエス様が復活された後、人々を罪ののろいから救い出す福音はあらゆるところへと伝えられていきました。多くの者は「十字架で殺された神様の御子」についての話を愚かしく思いました。十字架刑を一度でも見たことがある者なら誰でもそれがどのようなものであるか知っていました。十字架に付けられたキリストについての話はそれについて聞いていた人たちを躓かせました(コリントの信徒への第1の手紙1章23節)。すでに初期のクリスチャンたちの中にもイエス様には本来似つかわしくないようなひどい死に方について沈黙しようとする人たちがいました。「イエスが苦しんだのは外見だけで、実は肉体は苦しまずにすんだのだ」などと言い出す者たちもいました。
こうした考え方とは反対に、イエス様の弟子たちはまさにイエス様の十字架の死の中に信仰の核心を見ました。イエス様は神様の愛の御意志に対して最後まで忠実であられました。イエス様は十字架上で神様に見捨てられのろわれたものとなりました(ガラテアの信徒への手紙3章13節)。イエス様は侮られさげすまれるために「あげられました」(ヨハネによる福音書3章14~15節)。まさにこのようにしてイエス様は御自分の上に私たちの罪の懲罰を身代わりにお受けになったのです。私たちはイエス様と「もちもの」を交換することが許されました。すなわち、イエス様は私たちが報酬として受けるのが当然である神様の怒りをかわりに担ってくださいました。私たちはイエス様が報酬として受けるはずの神様の愛をかわりにいただきました(コリントの信徒への第2の手紙5章21節)。
[1] イエス様と共に十字架につけられた二人の強盗たちをさしています。