2026年2月12日木曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」3章10〜13節 使徒の模範

 使徒の模範

「テモテへの第二の手紙」3章10〜13節

 

「しかしあなたは、

わたしの教、歩み、こころざし、信仰、寛容、愛、忍耐、

それから、

わたしがアンテオケ、イコニオム、ルステラで受けた数々の迫害、苦難に、

よくも続いてきてくれた。

そのひどい迫害にわたしは耐えてきたが、

主はそれらいっさいのことから、救い出して下さったのである。」

(「テモテへの第二の手紙」3章10〜11節、口語訳)

 

上節は新約聖書に記されている「善い行い」の一覧表を想起させます

(例えば「ガラテアの信徒への手紙」5章22節)。

 

自分自身が与えた模範に従うように他の人々にも呼びかけるパウロの態度は

傲慢に映るかもしれませんが実はそうではありません。

キリスト信仰者は皆、

主について自分の生きかたを通して証するために召されているからです

(「フィリピの信徒への手紙」3章17節、

「テサロニケの信徒への第一の手紙」1章6節)。


本来、信仰と生きかたとは互いに矛盾せずに調和するべきものなのです。


ユダヤ人たちはユダヤ教の教えに忠実な生きかたをしませんでした。

そのせいで、彼らの説く教えも信用を失うことになってしまいました

(「ローマの信徒への手紙」2章17〜29節)。

 

私たちはキリストに従う者です

(「マタイによる福音書」8章18〜22節、

「ルカによる福音書」9章57〜60節、

「ヨハネによる福音書」13章12〜17節)。


私たちは言葉だけではなく生きかたを通して

他の人たちもこの道に招くことを願う者なのです。


キリスト教信仰へと他の人々を招く際に

彼らがパウロにではなくキリストに従うように導くことの大切さを

パウロは深く理解していました。

 

「わたしがキリストにならう者であるように、

あなたがたもわたしにならう者になりなさい。」

(「コリントの信徒への第一の手紙」11章1節、口語訳)。

 

私たちが自分を模範として従うように他の人々にも要求できるかどうかは、

私たち自身がキリストの模範にどの程度まで従っているかに応じて

変わってくると言えます。

 

この世は神様の御意思に従順な生きかたを嫌うため、

そのような生きかたをしようとしている人々を容認しようとはしません

(「ローマの信徒への手紙」12章2節)。

まさにこの相剋から、キリスト信仰者に対する迫害が起こってくるのです

(3章11〜12節)。

 

パウロはおそらくピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラを

実際に訪れたことがあります

(「使徒言行録」13章14節〜14章20節

および15章41節〜16章6節

および18章23節)。


パウロは最初の海外伝道旅行で

テモテの故郷の町であるルステラに滞在した際に

石で打たれ、あやうく死ぬところでした

(「使徒言行録」14章19〜20節および16章1節)。

テモテはその石打の様子を目撃したのではないでしょうか。


パウロの受けた苦難の数々については

「コリントの信徒への第二の手紙」11章23〜29節に

まとめて記されています。

 

「テモテへの第二の手紙」3章11節の終わりの部分は

「詩篇」34篇20節(口語訳では19節)と内容的にみてほぼ同じものです。

 

かつてイエス様は御自身に従う者たちが

信仰のゆえに迫害を受けることを予言しておられました

(「マタイによる福音書」10章22節、

「ヨハネによる福音書」15章18〜21節)。


それと同じことをパウロもときおり手紙で教えてきました

(「使徒言行録」14章22節、

「フィリピの信徒への手紙」1章29〜30節、

また「ペテロの第一の手紙」4章12〜13節)。

 

「悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。」

(「テモテへの第二の手紙」3章13節、口語訳)

 

悪人たちはいっそう悪くなっていくばかりです。

「ヨハネの黙示録」22章11節が

「終わりの時」に起こる出来事について予言しているように、

義人たちがいっそう義人らしくなっていくことを

私たちは期待することにしましょう。

 

2026年1月16日金曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」3章1〜9節 「終わりの時」の人間たち(その2)

「終わりの時」の人間たち(その2)

「テモテへの第二の手紙」3章1〜9節

 

「彼らの中には、人の家にもぐり込み、

そして、さまざまの欲に心を奪われて、

多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを、

とりこにしている者がある。」

(「テモテへの第二の手紙」3章6節、口語訳)

 

すでに楽園でサタンはエバを誘惑しました(「創世記」3章1〜6節)。

同様に多くの異端教師も女性たちを手下にしようと策を巡らしました。

逆に言えば、

一般的にみて女性のほうが男性よりも信仰の事柄に関心を示す傾向が強い

ということなのかもしれません。

 

上節の女性たちの記述が実例に基づくものか否かについては

判断しかねる面があります。

グノーシス主義には

禁欲主義的な側面もあれば

放縦な性生活を追認する側面もあったからです。

 

「彼女たちは、常に学んではいるが、

いつになっても真理の知識に達することができない。」

(「テモテへの第二の手紙」3章7節、口語訳)

 

人は自分の「霊的な家・故郷」を見つけることが大切です。

次から次へと新しい教えや体験を探し求めてばかりいると、

しまいには新手の異端のグループに巻き込まれてしまいます。

 

「ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、

こうした人々も真理に逆らうのである。

彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。」

(「テモテへの第二の手紙」3章8節、口語訳)

 

ユダヤ人の伝承によれば、

モーセに敵対したエジプトの魔術師たちは

ヤンネとヤンブレという名であったとされます

(「出エジプト記」7章11〜12節も参考になります)。

彼らの行動はファラオの心をかたくなにするばかりで

(「出エジプト記」7章13、22節)、

結果的にエジプトは大混乱に陥りました。

 

エジプトの呪術師たちは

モーセとアロンの行った奇跡のうちの一部を模倣できましたが、

最終的には自らの敗北を認めるほかなくなりました

「出エジプト記」8章14〜15節)。

異端の教えの中にも

正しい教えと共通点があるかのように見える場合があります。

それでも最終的には異端特有の脆弱性が明るみになります。

異端は人を救うことができません。

救いへと人を導く正しい信仰が異端には欠けているからです。

 

「しかし、彼らはそのまま進んでいけるはずがない。

彼らの愚かさは、あのふたりの場合と同じように、

多くの人に知れて来るであろう。」

(「テモテへの第二の手紙」3章9節、口語訳)

 

神様が活動なさっているところでは、

サタンも人々を異端へと陥れようと策動します

(「マタイによる福音書」13章24〜30、36〜43節)。

活きておられる神様に対して異端教師たちは戦いを挑みますが、

勝利を収めることは決してありません

(「使徒言行録」5章39節も参考になります)。

 

教会の歴史においては、

グノーシス主義のほうが使徒たちの正しい教えよりも勢いがあるように

見えた時期もありました。

しかし、それが正しいキリスト教信仰に勝つことはできなかったのです。