2025年9月1日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」2章1〜7節 福音のために労苦しなさい(その2)

福音のために労苦しなさい(その2)

「テモテへの第二の手紙」2章1〜7節

 

「キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。」

(「テモテへの第二の手紙」2章3節、口語訳)

 

福音宣教者は労苦に耐え忍ばなければなりません。

この世的な多くの事柄について労苦するのは人として当然である

というのが一般な認識だと思います。

それにひきかえ、神様の御国のために労苦することの意義は

一般にはほとんど認められていないと思えることがしばしばあります。

 

パウロは労苦について三つの具体例を挙げています。

1)兵士(2章4節)

2)競技者(2章5節)

3)農夫(2章6節)

 

1)

「兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。

ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。」

(「テモテへの第二の手紙」2章4節、口語訳)

 

戦争で兵士は最優先課題を集中的に遂行しなければならないため、

日常の瑣事に煩わされていてはいけません

(「コリントの信徒への第一の手紙」9章7節、

「申命記」20章5〜7節、

「コリントの信徒への第二の手紙」6章7節および10章3〜5節、

「エフェソの信徒への手紙」6章11〜17節も参考になります)。

 

2)

「また、競技をするにしても、

規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない。」

(「テモテへの第二の手紙」2章5節、口語訳)

 

他の手紙でもパウロはキリスト信仰者を競技者にたとえています。

例えば「フィリピの信徒への手紙」3章13〜14節や

次の「コリントの信徒への第一の手紙」の箇所です。

 

「あなたがたは知らないのか。

競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。

あなたがたも、賞を得るように走りなさい。

しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。

彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、

わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。

そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、

空を打つような拳闘はしない。

すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。

そうしないと、

ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。」

(「コリントの信徒への第一の手紙」9章24〜27節、口語訳)

 

古代のオリンピック競技では優勝者に月桂冠が授与されました。

それに対して、

信仰を人生の終わりまで守り通したキリスト信仰者には

公平な審判者である主から「義の冠」が授けられるのです(4章8節)。

 

3)

「労苦をする農夫が、だれよりも先に、生産物の分配にあずかるべきである。」

(「テモテへの第二の手紙」2章6節、口語訳)

 

この節は当時の広大な農地の耕作について述べています。

農地の大半は農夫たちに貸し出されていました。

そして、土地の借り手である農夫が

誰よりも先に生産物の分配にあずかるべきであるとされました

(「コリントの信徒への第一の手紙」9章7節)。

 

怠惰な者によってなされた土地の耕作は実を結びません

(「箴言」10章5節、20章4節、24章30〜34節、27章18節)。

 

御言葉の種を蒔く作業においては、

神様のみが作物を成長させてくださるということを

私たちは覚えておかなければなりません。

 

「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。

しかし成長させて下さるのは、神である。

だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。

大事なのは、成長させて下さる神のみである。」

(「コリントの信徒への第一の手紙」3章6〜7節、口語訳)

 

もちろん、普通の農業においても

最終的にはほかならぬ神様が作物を成長させてくださっていることを

忘れてはいけません。

 

パウロは御言葉の種を蒔くことや、

キリスト教信仰を宣教する者としてふさわしい生きかたをすることに

熱心でした

(「コリントの信徒への第二の手紙」6章3〜10節、

「フィリピの信徒への手紙」2章16節)。


その一方で、パウロは

福音伝道が彼自身によるものではなく

神様御自身によるものであることを

明確に認識していました。

 

御言葉の種を蒔く作業においても

「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」

ことに注意すべきです(「ガラテアの信徒への手紙」6章7節より)。

 

今まで述べてきた三つの例を通して

パウロは福音の宣教で大切になる次の三つの心構えを説こうとしています。

 

1)重要事項に集中するべきである

2)規則を遵守して(すなわち神様の御意思に沿って)活動するべきである

3)労苦に耐えるために心を整えるべきである

 

「わたしの言うことを、よく考えてみなさい。

主は、それを十分に理解する力をあなたに賜わるであろう。」

(「テモテへの第二の手紙」2章7節、口語訳)

 

最後に、パウロは御言葉を伝える仕事が

この世の基準だけでは測ることができないものであることを

テモテに諭しています。


人間的な視点からすると、福音の宣教は愚かなことです

(「コリントの信徒への第一の手紙」1章18〜25節、2章6〜10節)。


しかし、御言葉を宣教する仕事は

人間の視点によってではなく、

神様の視点によって評価されるべきものなのです。