2025年5月19日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」1章3〜5節  家族から受け継いだもの

 家族から受け継いだもの

「テモテへの第二の手紙」1章3〜5節

 

テモテの母と祖母はユダヤ人でした

(「使徒言行録」16章1節)。

ユダヤ人の母親を持つ者はユダヤ人とみなされますが、

テモテの父は異邦人であったため、

おそらく父親が死んでからようやく

テモテは割礼を受けて正式にユダヤ人になることができたのだと思われます

(「使徒言行録」16章3節)。

 

牧会書簡がパウロの死後書かれたと主張する人々は

テモテの母と祖母に関する記述をその証拠として持ち出します。

この手紙が書かれた時点で

すでに三代にわたるキリスト信仰者の家系が存在していることが

この説の根拠とされます。


しかしこの手紙が述べているのは

当時一般的だったことについてではなく、

あくまでもテモテの母と祖母についてです。


さらに注目すべきなのは、

パウロが1章3節で彼自身の先祖についても

同じ神様を信じる人々とみなしているという点です。

「真のユダヤ人」とは

正しく信じている者、

すなわち神様の遣わされるメシア(救い主)を待望している者である

とパウロは考えていたのです

(「使徒言行録」24章14節および26章6節も参照してください)。

 

今日でもユダヤ人がキリスト信仰者になる時には

自分のルーツを捨てるのではなく、

逆に自分のルーツに帰還することを意味します。

 

「わたしは、日夜、祈の中で、絶えずあなたのことを思い出しては、

きよい良心をもって先祖以来つかえている神に感謝している。」

(「テモテへの第二の手紙」1章3節、口語訳)

 

上掲の節だけでなく他の多くの手紙でも

パウロは手紙の受け取り手たちの信仰について神様に感謝を捧げています

(「ローマの信徒への手紙」1章8節、

「コリントの信徒への第一の手紙」1章4節、

「フィリピの信徒への手紙」1章3〜4節、

「コロサイの信徒への手紙」1章3節、

「テサロニケの信徒への第一の手紙」1章2節、

「テサロニケの信徒への第二の手紙」1章3節)。

 

またパウロは自分でも実行しているように

テサロニケのキリスト信仰者たちにも

絶えず祈ることを奨励しています

(「テサロニケの信徒への第一の手紙」3章10節、5章17節)。

 

「わたしは、あなたの涙をおぼえており、

あなたに会って喜びで満たされたいと、切に願っている。」

(「テモテへの第二の手紙」1章4節、口語訳)

 

この「涙」とは

パウロがテモテをエフェソに残していった時に流した

別れの涙のことだと思われます

(「テモテへの第一の手紙」1章3節、

「使徒言行録」20章37〜38節および21章13節)。

 

「また、あなたがいだいている偽りのない信仰を思い起している。

この信仰は、

まずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであったが、

今あなたにも宿っていると、わたしは確信している。」

(「テモテへの第二の手紙」1章5節、口語訳)

 

この節はテモテの信仰が揺らいでいたことを示唆するものなのでしょうか。

それともテモテは

キリスト教がユダヤ教の正統で純粋な「継承者」であることに

確信がもてなかったのでしょうか。

ともあれ、この時のテモテはパウロの励ましを必要としていたのです。

それも当然でした。

テモテは異端教師たちやその他の問題を抱える

教会を指導する立場にあったからです。

2025年5月16日金曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」1章1〜2節 「愛する子テモテへ」

「愛する子テモテへ」

「テモテへの第二の手紙」1章1〜2節

 

「神の御旨により、

キリスト・イエスにあるいのちの約束によって立てられた

キリスト・イエスの使徒パウロから、愛する子テモテへ。

父なる神とわたしたちの主キリスト・イエスから、

恵みとあわれみと平安とが、あなたにあるように。」

(「テモテへの第二の手紙」1章1〜2節、口語訳)

 

この手紙のはじめの挨拶は

「テモテへの第一の手紙」と「コリントの信徒への第一の手紙」の

はじめの挨拶とよく似ています。

 

パウロは人生の終わりが近いことを知っていました(4章6〜7節)。

しかし彼にとってそれは来るべき永遠のいのちへの移行を意味していました

(1章1節のほかに

「コリントの信徒への第二の手紙」5章1〜10節も参照してください)。

 

テモテはパウロにとって霊的・信仰的な意味で愛する息子でした(1章2節)。

パウロは「コリントの信徒への第一の手紙」で次のように言っています。

 

「わたしがこのようなことを書くのは、

あなたがたをはずかしめるためではなく、

むしろ、わたしの愛児としてさとすためである。

たといあなたがたに、

キリストにある養育掛が一万人あったとしても、

父が多くあるのではない。

キリスト・イエスにあって、

福音によりあなたがたを生んだのは、

わたしなのである。 

(「コリントの信徒への第一の手紙」4章14〜15節、口語訳)

 

テモテはパウロがはじめてルステラを訪れた時に

キリスト信仰者になったのでしょう(「使徒言行録」14章6〜7節)。

次の引用箇所にあるように、

パウロが第二次宣教旅行でふたたびルステラを訪れた時には

すでにテモテはキリスト信仰者になっていたからです。

 

「それから、彼(パウロ)はデルベに行き、次にルステラに行った。

そこにテモテという名の弟子がいた。

信者のユダヤ婦人を母とし、ギリシヤ人を父としており、

ルステラとイコニオムの兄弟たちの間で、評判のよい人物であった。

パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、

その地方にいるユダヤ人の手前、まず彼に割礼を受けさせた。

彼の父がギリシヤ人であることは、みんな知っていたからである。」

(「使徒言行録」16章1〜3節、口語訳)。