2017年3月8日水曜日

ルターと聖餐のパンとぶどう酒(その1)

ルターと聖餐のパンとぶどう酒(その1

フィンランド語版原著者 エルッキ・コスケンニエミ
(フィンランド・ルーテル福音協会牧師、神学博士)
日本語版翻訳・編集者 高木賢
(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

このテキストはJürgen Diestelmann氏による以下の研究書に基づいています。
Jürgen Diestelmann, Studien zur Luthers Konsekrationslehre. 1980, 自費出版。
私(エルッキ)は下記の住所から注文しました。
Pfarrant Brüdern – St. Ulrici, Alter Zeughof3, 3300 Braunschweig, Deutschland
”Der Fall Besserer”という論文は
Lutherische Blätter 84 (1965)誌にも掲載されています。



ベッセラー事件 

1546年、宗教改革者ルターは自らの死の2週間前に、
激しい議論を巻き起こしたある問題を解決しなければならなくなりました。
礼拝で聖餐を配っている時にある牧師が祝福されたパンのうち
ひとつを落としてしまったため、
そのかわりにまだ祝福されていないパンを聖餐に連なる者に与える、
という事件が起こりました。
その牧師は聖餐式が終わった後で、
彼が落としたその祝福されたパンを見つけ、
祝福されていないパンの中に混ぜてしまいました。
驚愕している信徒たちに対して、
牧師は「これはどうでもよいことだ」と語り、
事態をいっそう悪化させました。

聖餐を受けた信徒たちはこの出来事を重大な緊急問題と受け止め、
批判の声をあげました。
そして、この一件は老ルターの吟味にゆだねられることになったのです。
当事者である牧師の名前はアダム・ベッセラーと言いました。
彼は他の点では職務を落ち度なく果たし、相応の評価を得ていた人物です。

ルターの示した最初の反応は激烈でした。
「その牧師は神様と人々を愚弄している。
祝福された聖餐のパンと祝福されていない聖餐のパンを
同じ価値のものだとみなしている!
そういうわけだから、私たちの教会から彼を追い出さなければならない。
彼は自分に見合うツヴィングリの信奉者たちのもとへと行けばよい。
私たちの「牢獄」に彼のような者を閉じ込めておく必要はない。
彼は牧師になる際に誓ったにもかかわらず、信仰を守ろうとはしないのだから、
私たちとは何の関わりもない者だ。」

一部は祝福され一部は祝福されていなかった聖餐のパンの一群は、
事件のあった地域で焼かれました。
ルターはこの処置を正しいものと認め、感謝を表明しています。


まだ若く経験の浅い牧師であったベッセラーは後悔し、
「聖餐式に対して抱いている敬意からくる畏れにとらわれて、
私はそのように行動してしまったのです」、と主張しました。
しかしこれは、残されている記録を読む限りでは疑わしい点があります。
なぜなら、彼は信徒に対して、
「これはどうでもよいことだ」、と答えているからです。
ベッセラーは尋問を受けることになりました。

あわてふためきながら彼は、
間違った聖餐論を主張する者たち(たとえばツヴィングリの支持者たち)
との関係を否定するためにあらゆる努力を尽くしました。
幸いなことに、この若い牧師は
自分の犯した間違いを教義的に一言も弁護しようとはしませんでした。
調査の結果、彼は教義的な問題にたいへん疎いことがわかりました。
彼の直接の上司たちは彼に対する処罰として短い監禁を、
また同じ領邦内にある他の教会への転出を提案しました。

前述のように、
このケースは死を二日後にひかえたルターの手に委ねられましたが、
彼はもはや返事を書くことができなかったのでしょう。
ルターの同僚メランヒトンが事件を調査した者たちの提案を支持し、
結局のところベッセラーは二週間の監禁を命じられたのではないか、
と思われます。