2017年3月3日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 終わりのメッセージ(15〜16章)(その2)


終わりのメッセージ(15〜16章)(その2)

どうか私たちを「習慣的キリスト信仰者」としてください

キリスト教関係の新聞社に勤めていたとき、
晴れの日も雨の日も私は礼拝に参加しました。
その際、いつでも自発的な喜びの心をもってそうしていたわけではありません。
これと同じことは献金についても言えます。
喜んで献金を捧げている自分の姿に気がついて心が歓喜することは、
めったにありません。
かなりの量の捧げ物を差し出すためには、
自分が本来ならやりたいと思っていることをあえて我慢する必要がでてきます。
しかし例えば、
伝道に従事する自分の職場の活動を支えるために必要であることがわかれば、
献金をする意欲は湧いてくるものでしょう。

自分の人生に対して深い意義をキリストにおいて見いだすときに、
喜びが生まれます。
私たち信仰者のうちでキリストが活きて支配してくださっているとき、
私たちはもうそれだけですっかり満ち足ります。
自らの信仰生活がはたして喜びの煌めきに彩られているか、
あるいは、習慣的にキリスト教に固執しているだけなのか、
ということは気にならなくなります。

それゆえ、私は天の父なる神様にお祈りします。
どうか私を、
あなたの御旨に従うべく日々努力していることを
あなたから認めていただけるような「習慣的キリスト信仰者」にしてください。
そして、私たちの教会にも「習慣的キリスト信仰者」たちをお与えください。
私たちがあなたの御国の仕事を熱心に継続できるためには、
彼らの存在が欠かせないからです。
それに対して、
一時の思いつきに左右されやすい「感情的キリスト信仰者」は、
神様を賛美したり御国の仕事のために計画を立てて組織を作ったりする
「肝心な時」には、決まってその場にいないものだからです。


レイノ・ハッシネン


以上で、「ローマの信徒への手紙」ガイドブックの配信を終わります。
今までお付き合いくださり、ありがとうございました。
次回からは新しいテキストの配信を予定しています。
(日本語版翻訳・編集者より)