2017年2月2日木曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 16章7節 ユニアスとアンドロニコ(その4)

ユニアスとアンドロニコ 167節(その4)


名前がユニアだったかユニアスだったかには関わりなく、
それがユニアヌスという名前から導出されたものだったのは、ほぼ確実です。
パウロは、この人物がユダヤ人であった、と言っています。
この人物はローマ人の名前をもっているので、
有名なユニウス家の奴隷だったとも考えられます。
例えば、ガイウス•ユリウス•カエサルを殺害した
マルクス•ユニウス•ブルートゥスはこの家系の出身です。
パウロの挙げたこの人物は、他の人の奴隷として売られ、
おそらく皇帝のおびただしい奴隷の群れに加えられ、
ユニアヌスと名付けられたのではないかと思われます。
この人物が後に奴隷の身分から解放されて自由の身になったのは、ほぼ確実です。
当時の一般的な慣習として、奴隷は30歳になると自由の身になれたからです。
これは、奴隷の老後の世話にかかる経済的な負担を
主人が免れるための措置でした。

この後どうなったかはまったくの想像ですが、
次のようなことが起きたのではないか、
と考える優秀な研究者(P. Lampe)がいます。
それによると、ほかでもなくフィリピで、
パウロは皇帝の奴隷たちや解放された元奴隷たちと知り合いになりました。
フィリピには奴隷や解放奴隷がたくさん住んでおり、
パウロ自身彼らと付き合いがあったことを記しています
(「フィリピの信徒への手紙」422節の
「カエサル(皇帝)の諸家に属する者たち」という表現に注目してください)。
そして、ユニアヌスとパウロは一緒に投獄されていた時期がありました。