2017年2月15日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 第13回目の質問


13回目の集まりのために

「ローマの信徒への手紙」1516

パウロはキリスト信仰者としての生き方に関する具体的な指示を、
キリストの示された愛の模範に依拠して書き記し、この章を閉じます。
彼はこれからの伝道計画を説明し、
最後に、ローマの教会の多くの信徒たちに、
彼らの名前を列挙しながら挨拶を送ります。

1)神殿から商人たちを追い出したイエス様、
ガラテアの教会の信徒たちに手紙を送ったパウロ、
両者ともに、
真理を人前から隠しておく態度はキリスト信仰者にふさわしい美徳ではない、
ということを明らかにしています。
その一方では、
「ローマの信徒への手紙」15113節が示しているように、
キリスト信仰者の真の役割とは「仕える役割」です。
このことは、主御自身が弟子たちに仕えてくださったことからわかります。
上記の二つの事柄は互いに相反するものなのでしょうか。
真理を他者から隠す臆病さと、
自分を他の人たちよりも重要だと見なす高慢さ、
という二つのうち、
私たち個々人に染み付いている罪の傾向は、どちらのほうがより当てはまるか、
考えてみてください。

2)パウロは伝道に燃えていました。
まだキリスト教が伝えられていない西ヨーロッパでの宣教がしたくて、
彼は夜も眠れないほどであった様が窺われます。
それに対して、私たち自身の伝道への情熱はどうでしょうか。
自分の周囲に対して福音を伝えるために、
また世界伝道のために、
私たちには何ができるでしょうか。
自分の生活のためには多くの費用をかけても平気なのに、
福音伝道のためとなると、
とたんに財布の紐が固くなるのはどうしてなのでしょうか。


3)「パウロは女性を憎悪していた」、という主張がなされることがあります。
「ローマの信徒への手紙」16章は、はたしてこの見方を支持するものでしょうか。