2016年10月28日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 15章20〜33節 これからどこへ?(その2)

これからどこへ? 152033(その2)


パウロの宣教にかける情熱からは学ぶべきものがあります。
当然ながら、
身近の人々に対して伝道していくのも大いに必要なことです。
現状では、神様が望まれるようなかたちで
キリストが人々に十分に知らされてはいないからです。
それゆえに、神様は新しい働き人を絶えず召してこられたのです。

しかし、全世界伝道については、
私たちはさらに熱く燃えるようなヴィジョンをもつべきでしょう。
キリストについての福音のメッセージを
あらゆるところへ携えて行かなければなりません。
これは、私たちがその通りに行うように義務づける
キリスト御自身による命令なのです。

苦しみに満ちたこの世界の只中で、
私たちも豊かに実った畑を目にしながら、
それを収穫する働き人たちが与えられるのを待っています。
伝道のために海外に出発する人々の数はわずかです。
なぜそうなのか、私たちは皆、その理由を自問してみるべきでしょう。
神様がほかでもなく私をお使いになりたいのかどうか、
じっくり慎重に考えてみる必要がありそうです。
その上でもしも自分の国に残るという結論に至ったならば、
私たちのやるべきことは、
他の人たちが宣教師になるように祈ることであり、
彼らが私たちのかわりに海外へ出かけていくことをちゃんと理解することです。

2016年10月20日木曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 15章20〜33節 これからどこへ?(その1)

これからどこへ? 152033節(その1)


パウロはこれからの自分の計画を説明します。
彼は地中海の東部の沿岸部でこれまで長い間働いてきました。
エルサレムの周辺からはじめて、
ギリシアの各地で彼は大胆に御言葉を宣べ伝えてきました。
アンティオキア、エフェソ、アテナイは、
コリントやテサロニケと同様、彼にはなじみのある都市でした。
使徒の働きの結果、
いたるところにキリスト教の信徒の群れ(教会)が生まれました。
使徒パウロは主に大都市で教会を始めました。
これらの教会が母体となって、
さらにその周囲の地域において宣教活動を展開して行きました。
福音を誰もまだ伝えていない地域で宣教伝道するのが
パウロの慣れ親しんだ伝道のやり方でした。
こうすることで、
誰からも「他の人の釣りの邪魔をしている」と言われずに済んだのです。

しかし、彼にとって
地中海東部はすでに窮屈感をおぼえる地域になってきていました。
そこで、パウロは視線を地中海の西部へと向けました。
イタリアにはすでにキリスト教の信徒たちがいたので、
自己の流儀に従ってパウロは
他の伝道者たちがすでに活動中の地域では宣教しようとしませんでした。
それに比して、
ヒスパニア(現在のスペインとポルトガルに当たる地域)や
ガリア(今のフランスにほぼ重なる地域)では、
まだ福音がまったく伝えられていない状態でした。
そこで伝道したい、とパウロの心は燃えました。
そして、神様の火は彼を前へ前へと運び進めて行きました。

おそらく彼は、
ローマの教会が経済的にも執り成しの祈りによっても
彼の伝道を支えてくれることを期待していたのでしょう。

2016年10月12日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 15章14〜19節 パウロはあまりに革新的なことを書きすぎたのでしょうか?

パウロはあまりに革新的なことを書きすぎたのでしょうか? 151419


パウロは手紙を締めくくる用意を始めます。
彼はまず信仰による義について話し、
それからキリスト信仰者の生き方について話しました。
彼はこれら二つのテーマについて、
彼らしい激しさと熱意を込めて書き進めて来ました。
この情熱は「ローマの信徒への手紙」の中に明瞭にあらわれています。
自分のこの熱心さが誰のことも傷つけはしなかったか、
彼は確かめようとしています。
ローマの信徒たちの教会がまったくだめな状態なので、
そのためにわざわざ熱意を込めて手紙を書かなければならなかった、
ということを彼は言いたいわけではありません。
パウロは、ローマの信徒たちが
互いに助言し合っているあり方を親切に礼儀正しく認めています。
それでも、
幸いなことにパウロは激しい内容を含んでいることを自覚しつつも、
この「ローマの信徒への手紙」を恥じたりはしていません。

パウロはまた自分に委ねられた使徒の職務のことも恥じません。
彼はまさにこの職務のゆえに多くの戦いに巻き込まれたにもかかわらずです。
彼は「祭司の役を勤める」(16節)という表現さえも躊躇せずに使用しています。
この表現は新約聖書では、
キリストを除いては、どの教会の働き人についても使われていないものです。
普通の他の働き人とは、
信徒の群れのために立てられた牧師、奉仕者、教会の管理者などのことです。
それに対して、
パウロは「異邦人たちの使徒」という自分の職務を
祭司の職務」であると位置づけています。
彼は福音のために奉仕してきました。
その目的は、異邦の民が、
神様に認めていただけるように聖霊様によって聖とされた捧げもの
となれるようにすることにありました。

私たち異邦人(非ユダヤ人)は、
この偉大な「異邦人たちの使徒」の働きが
実際にも犠牲を伴う奉仕であったことを喜んで認めます。
神様御自身が彼を用いられたのであり、
彼によって、異邦人たちを
キリストの贖いの血のゆえに御自分の民として受け入れてくださったのです。
自分たちの使徒であるパウロとその指示に今でも素直に従う時に、
私たちは正しいことを行っているのです。

2016年10月5日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 15章7〜13節 キリスト信仰者として生きる勧めの結び

キリスト信仰者として生きる勧めの結び 15713


この箇所でパウロは、
キリスト信仰者の生き方について伝えたかったすべてのことを言い終えます
1215章)。
キリストは割礼を受けた者たちの僕となられるために、
すなわちユダヤ人たちを解放するためにこの世に来られました。
こうして神様は
アブラハム、イサク、ヤコブにお与えになった契約に対する忠実を
示してくださったのです。
その一方で、憐れみ深い神様は
多くの異邦人(非ユダヤ人)たちも御許に招いてくださいました。
こうして、
いつの日か異邦人たちもイスラエルの神様を賛美するために御許に集うという、
すでに旧約聖書に約束されていた預言が実現しました。

キリストは、
ユダヤ人も異邦人も同じように大切になさる全世界の救い主として
この世に来られました。
キリストが私たちのことも大切にしてくださったのですから、
私たちもお互いのことを大切にしなければなりません。
このようにして福音はこの世に新たな希望と愛を生み出して行くのです。
正しい信仰は、
この悪の世の外側すなわち神様御自身に由来する喜びと平和を与えてくれます。