2016年7月27日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 14章1〜12節 他の人の信仰の確信を傷つけてはいけない(その2)

他の人の信仰の確信を傷つけてはいけない 14112節(その2)


肉を食べることに加えてもう一つ挙げられている問題は、
ある特定の日を聖なる日とみなす態度に関連しています。
これが具体的にはどういうことを意味しているか、
またしても私たちは知りません。
しかし、ここで問題になっているのは、
休日を土曜日にすべきかそれとも日曜日にすべきか、
という喧嘩などではないでしょう。
少なくとも毎週の聖日をめぐる問題ではないのはたしかです。
むしろ、ユダヤ人の祝祭の暦の遵守がここで問題になっていると思われます。
とりわけ異邦人(すなわち非ユダヤ人)キリスト信仰者にとって、
ユダヤ人の一連の祝祭はさほど大切なものではありませんでした。
このことからキリスト信仰者の間に意見の相違が生じたのかもしれません。
それに対してパウロの与えた指示は、
各自がやりたいように特別な日とそうでない日とを区別すればよい、
というものでした。
実のところ、キリスト信仰者の一日は毎日毎瞬が神様への礼拝なのです。
このことに加えてユダヤ人の祭も祝いたい人がいるならば、
別にそのようにしてもかまいません。

2016年7月11日月曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 14章1〜12節 他の人の信仰の確信を傷つけてはいけない(その1)

他の人の信仰の確信を傷つけてはいけない 14112節(その1)


「弱い」信仰者も「強い」信仰者も
そのような者として存在する権利を互いに認め合うべきである、
とパウロは強く強調します。
このことに関しても、
パウロは信仰義認の教義を基礎にして論じていますが、
これは私たちにとってもたいへん参考になる姿勢です。

キリストは死んで、復活なさいました。
それは、キリストが皆の主人となられるためでした。
すぐ限界になる私たちの生来の忍耐力も、
キリストの十字架の下では強められていきます。

以前とはことなり今の私たちは、
もはや他のキリスト信仰者の理解の仕方を軽率に裁いてはいけません。
他のキリスト信仰者もまた
私と同じく神様の御国に属する存在だからです。
それぞれが自分のやり方を守ればよいでしょう。
誰もそれについて口出しするべきではありません。
ただし、
その人が他の人たちも皆その人と同じやり方で生きるように要求したり、
その人自身が聖書の御言葉の明瞭な教えに反した行動をとったりする場合には、
別の話になります。