2012年7月28日土曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 18章9~20節 災いなるかな、大いなる都よ


 
災いなるかな、大いなる都よ 18920
  
 
バビロンの滅亡は驚嘆すべき仕方で描き出されています。
あたかも舞台に三つのコーラスが隊を組んで登場してくるかのようです。
最初は支配者、次は商人、最後に海で働く人々の群れが
順々に、悪魔の帝国の崩壊を悔しがり舌打ちします。
  
悪魔の帝国は強大でした。
それは歴史を通じて多様な形態をとり、
いつもこれみよがしの豪奢に包まれていました。
長々と列記された贅沢のリストがその証です。
しかし、今となってはすべてが過ぎ去りました。
この現実を前にして、多くの人が悲しみ、泣き、嘆いています。
彼らの主人が倒れたからです。
  
それから視線は、神様の御国へと向けられます。
御国の臣民は、悪魔の帝国の倒壊を喜ぶよう、促されます。
地上で滅びを撒いた者が、いまや滅ぼされたのです。
神様の多数の子たちを裁いた者が、裁きを受ける側になりました。
このことを、神様に属する人々は大いに喜びます。
「悪魔の帝国の崩壊を喜びなさい」という命令は、
不適切に感じられるかもしれません。
クリスチャンは自分の敵のことも祝福しなければならないはずだからです。
しかし、ここでのポイントは、
悪魔と悪魔に属するものたちとが受ける厳しい処罰自体を喜ぶ、
ということではないでしょう。
神様の民は、とうとう正義が実現したことを喜んでいるのです。
神様は権威を掌握して、あらゆる悪を止めさせなさいました。
これを喜ぶのは当然です。
 

2012年7月21日土曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 18章1~3節 滅亡したバビロン、18章4~8節 外に出なさい!


「ヨハネの黙示録」18

  
滅亡したバビロン 1813

ヨハネは天使を見ます。
その天使は彼にバビロンの滅亡を見せます。
こうなるという約束は、以前すでに与えられていました
(「ヨハネの黙示録」148節)。
ここで、悪魔の帝国が崩れ去る様について克明な描写がなされます。
一見すると、悪魔の帝国は山の上に築かれている不動の要塞のようですが、
いつかそれは倒壊する都になります。
それはさんざん贅沢を重ねましたが、
豪奢な生活は際限なく続くものではありませんでした。
繁栄する都を瓦解させることは可能です。
それが悪の帝国の場合もです。
  
  
外に出なさい! 1848
  
バビロンの倒壊の告知を耳にする前に、
ヨハネは神様に属する人々に与えられた命令を聴きます。
それは、「都が滅ぼされる前に、そこから外に出なさい」、という命令です。
これはどういう意味でしょうか。
エルサレムが滅ぼされる前に、そこから外に逃げ出すよう、
イエス様は御自分に属する人々に勧告なさいました
(「マタイによる福音書」241520節)。
エルサレムの滅亡を目前に控え、
多くのクリスチャンは、イエス様のこの勧告に従ったおかげで、
西暦70年の秋にローマの軍隊がエルサレムになだれこんだときに、
死を免れました。
しかし、この箇所での命令は、
上述のエルサレムのケースに対応するものではないでしょう。
「ヨハネの黙示録」において、「バビロン」は、
そこから逃げ出すことが可能な普通の意味での都ではなく、
悪魔の帝国を指しています。
多くの人はこの命令を、
「神様に属する人々は悪の世から逃げ出さなければならない」、
という意味に取りました。
修道院が設立されました。
そして、その中でなら、罪を避け、悪魔から離れることができる、
と人々は思い込みました。
ところが、そうはなりませんでした。
修道院の中でも、罪は現実として存在し、悪魔も活動しています。
そこで暮らしているのは、やはり罪人たちだからです。
「神様に属する人々は、世俗化した教会を離れて、
そのような教会の抱える問題が存在しないような、
真の信仰者のみからなる自分の教会を設立するべきである」、
というように、この命令を理解した人々もいました。
これを実行する人々がいましたが、
善意に基づく試みだったにもかかわらず、成功しませんでした。
これらの教会の中にも、罪が入り込んでいったのです。
それらの教会の会員も、人間であることには変わりないからです。
多くの場合、悪魔はそれらの教会を
さらに互いにいがみ合う小グループに四散させることに成功しました。
  
バビロンが悪魔の帝国を描いているものであるとすれば、
「そこから外に出よ」という命令は、
「悪魔の手下どもの活動と袂を分かつこと」を意味しているのだと思われます。
初代のクリスチャンたちの場合には、それは例えば、
キリストの教会に戦いを仕掛ける「獣」、
つまりローマ帝国と親交を持たないことを意味していました。
悪魔の帝国を待ちうけているのは裁きであり、
悪魔やその手下どもと共犯関係にある者たちもまた、
バビロンが滅亡する日に裁きを受けることになります。
「キリストの教会を滅ぼすために何処で悪魔が手下どもと策動しているか、
ちゃんと見極めて、それに対してはっきりと距離を置かなければならない」、
というのが、「バビロンから外に出る」という意味なのでしょう。
  
バビロンには厳しい裁きが下ることになっています。
バビロンは多くの悪を行い、神様に属する人々を迫害し、殺しました。
最後の日に、バビロンはその行いについて峻酷な裁きを受けます。
しかも、その悪行の二倍の裁きを。
歴史を通じて悪魔が手下と共にどのようなことをしてきたかを思うとき、
その裁きがどれほど恐るべきものになるかがわかります。
そのような裁きを受けないために、
私たちはバビロンから外に出て行かなければなりません。
すなわち、神様と教会に対する悪魔の攻撃に対して、
はっきり距離を取らなければなりません。
 

2012年7月12日木曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 第10回目の終わりのメッセージ


 
終わりのメッセージ

「私は、
道であり真理であり命です。
私を通らなければ、
御父様の御許へは誰も来ることができません」
(「ヨハネによる福音書」146節)。
  
  
あたかも主は、次のように言われているかのようです、
「私は、あなたがたに対して忠実でありたいと思っています。
大海原を越えて、死から永遠の命へと、
世と悪魔の帝国から御父の御許へと、
あなたがたを連れて行きたいと願っています。
私自身が道であり真理であり命であろうと思っているのです。
そのようなものとして、あなたがたは私のことを呼ぶべきです」。
ですから、私は上の御言葉を次のように理解します。
それは今も変わることなく、キリストのみを意味しています。
キリストは、
初めに道であり、
続いて真理であり、
最後には命であられます。
キリストはすべてでなければならないからです。
すなわち、
初めも途中も終わりも、キリストは私たちの幸いなる救いなのです。
キリストが「初めの石」すなわち礎石として据えられますように。
この礎石に基づいて次やさらにその次の石が積み上げられていきます。
キリストは、
天国への梯子の最上段でもあり中段でもあり最下段でもあります。
  
このメッセージの核心は次のことです。
信仰を通してキリストにしっかりとつながっていなさい。
そうすれば、あなたは正しくことを始めることになります。
キリストに避けどころを求めなさい。
そうすれば、あなたは途中も
キリストに正しくつながりつづけることができます。
このキリストの中に留まりつづけなさい。
そうすれば、あなたは救いの幸いを得ます。

(マルティン ルター 「神様の子供に与えるマナ」)

2012年7月6日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 第10回目の質問(16~17章)


 
10回目の集まりのために

「ヨハネの黙示録」1617
  
 
以前ヨハネは
七つの封印が解かれるのを目にし、
七つのラッパが鳴り響くのを耳にしました。
今彼には
神様の七つの怒りの杯が地上に注がれるときに起こることが示されます。
幻は、キリストの再臨の直前に何が起こるかについて語っています。
それからヨハネは娼婦を見ます。
それは悪魔の帝国をあらわしています。
ヨハネの見た幻での娼婦にように、悪の権威はいつか滅ぼされるのです。
  
  
質問

1)「神様の七つの怒りの杯」は何を意味していますか。
16111節の説明を参照してください。
この幻は私たちに何を語っていますか。
  
2)「神様の愛」はよく話題にされるテーマです。
「ヨハネの黙示録」は神様の怒りについても語っています。
「神様の怒り」という言葉から、
あなたにはどのような考えが浮かびますか。
神様の愛についてばかり話す場合、
それはどのような結果を招くでしょうか。
また、こういうことは実際にありますか。
  
3)なぜ神様は、
獣の印を受けている者たちのことを苦しめられるのでしょうか
16811節)。
このようになさる神様の目的は何でしょうか。

4)「ハルマゲドンの戦い」とは何でしょうか。
1616節の説明を参照してください。
「バビロン」とは何でしょうか。
1619節の説明を参照してください。

5)神様は敵を打たれます。
悪魔はその後ではもはや活動することができません。
悪魔のいない生活はどのようなものでしょうか。
「ヨハネの黙示録」はこのことについて何を教えていますか。
  
6)娼婦は何をあらわしていますか。
17718節の説明を参照してください。
この娼婦について、どのような説明をあなたは聞いたことがありますか。
娼婦の幻は私たちに何を教えていますか。
  
7)8人の王についての天使の話は何を意味していますか。
17911節の説明を参照してください。
  
8)17章は神様の偉大さについてどのようなことを語っているでしょうか。