2009年9月21日月曜日

マルコによる福音書について 14章17~26節

裏切り者の驚愕 14章17~21節

イエス様が「これから裏切りが起こる」と話し始められたとき、ユダがどれほど驚愕したことか、私たちには想像もつきません。ところが、イエス様は「誰が裏切り者なのか」明かされず、詩篇41篇を引用するにとどめられました(41篇10節)。神様の御子の受難の道は聖書に示されていたのです。とはいえ、神様は背後で全部を自分の思い通りに行う監督などではありません。神様の御子を裏切ることは重い罪であり、その罪を負うのは罪をおかした本人でした。そして、その罪は彼にとって担うにはあまりにも重過ぎたのでした。


神様が用意してくださった食事 14章22~26節

食事が進むにつれて不思議なことが起こりました。旧約の過ぎ越しの食事では、神様の救いのみわざについての記憶につながる特別な食べ物が供されました。現在でもユダヤ人たちはお祝いの食事の席で「これらはすべて何を意味しているか」と互いに尋ね合います。その答えは「神様はエジプトでの隷属から今自由を祝っている民を解放してくださった」ということにあります。「もしもあながたの子供たちが「この儀式にはどんな意味がありますか」と尋ねるならば、「これは主の過ぎ越しの犠牲です。主は、エジプトの人々を撃たれたときに、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、私たちの家を救ってくださったのです。」とあなたがたは言いなさい。」(出エジプト記12章26~27節)神様の救いのみわざはたんに昔の歴史の出来事にすぎないのではなく、なによりも「今ここ」に関係しているのです。イエス様はここで過ぎ越しの食事にまったく新しい説明をお与えになります。イエス様は神様にパンを感謝して弟子たちに配ります。パンは今や秘められたかたちで「イエス様のからだ」でもあるのです。同じようにして、イエス様は神様にぶどう酒を感謝します。そしてこのぶどう酒は今や「イエス様の血」でもあります。こうして、旧約聖書の奇跡は新たにより大規模に繰り返されます。神様はイエス様をとおして新しい契約を結んでくださいました。この契約は最初の契約と同様に血によって確固たるものとされました(出エジプト記24章8節)。エレミヤがすでに予言したように、新しい契約は旧い契約に取って代わるものです(エレミヤ書31章31~34節)。新しい契約は、「イエス様の血が全世界のために流されたこと」に基づいています。その背景にあるのは、神様の戒めを守る人間の力ではなくて、神様からの無条件の罪の赦しです。