2009年9月16日水曜日

マルコによる福音書について 14章10~11節

裏切り者の出現 14章10~11節

ユダのような人物があらわれたのは、イエス様の敵にとって宝くじにあたったようなものでした。今や事を公にせず、しかも大きな危険をおかさずに、イエス様を取り除くことが可能になったのです。イエス様の弟子たちの中から裏切り者があらわれたということは、「大祭司たちは自分たちで適当な時機を選ぶことができるので、もはや不意の出来事に邪魔されたりはしない」、ということを意味していました。ユダという人物は、いつの時代も人々の興味と恐怖をかきたててきました。彼自身および彼の動機については残念ながらごくわずかのことしか確実には言えません。クリスチャンの誰もがユダに対してある種の同情をいだくのは確かでしょう。ユダの裏切り行為にはなんら正当化すべき余地はありません。にもかかわらず、ユダという裏切ったのち自分の罪を悔いた者は、ぽいと見捨てて忘れ去ってしまうには、あまりにも悲劇的な人物です。なぜユダが必要だったのでしょう。彼の心にはどんなことがよぎったのでしょうか。どうして彼は悔いたのでしょう。ユダは罪の赦しの恵みを結局はいただけたのでしょうか。答えよりも疑問の方がたくさんわいてきます。