2009年9月7日月曜日

マルコによる福音書 第13回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

あなたがたの心が放縦や、泥酔や、生計の心配のために鈍らされて、思いもよらないときにその日があなたがたの目の前に訪れるようなことがないように、よく注意していなさい。(ルカによる福音書21章34節)

これは非常に大切な警告です。私たちはそれを決して忘れてはいけません。主は、食べたり飲んだりすることを禁じておられるわけではありません。食べて飲みなさい。神様はそうすることをあなたがたにゆるしてくださいます。生活するために働きなさい。しかし、こうしたことを行ううちに心が鈍くなって、私(キリスト)がふたたびこの世に帰ってくること(再臨)を忘れてしまうことがないように注意しなさい。

私たちクリスチャンにとっては、自分の生活の目的を「この世的なことがら」におくのはふさわしいことではありません。「半分」だけ、「左手」だけで、私たちはこの人生のなかにとどまるべきです。それとは反対に、「右手」で、心をこめて、私たちは、私たちの主がたとえようもないほどすばらしい権威をまとって戻って来られる日のことを待つべきなのです。最後の日の訪れる前には、人は家を建てたり、結婚式をあげたり、悲しみを知らずに過ごし、まるで他には何もやることがないかのように、心を鈍くしてしまいます。しかし、クリスチャンであろうとするあなたがたは、それとは反対に、最後の日を心に留めていなさい。その日を絶えず待ち望み、神様への畏れのなかで、汚れのない良心をもって、生活しなさい。その場合には、何の心配もありません。その日がどこで私たちに訪れようとも、それは「救いの喜びに満ちた瞬間」としてやって来ます。なぜなら、その日は、あなたがたが神様への畏れをもち、神様の守りにつつまれているときに、あなたがたのもとを訪れるからです。

マルティン・ルター 「神様の子供たちに与えるマナ」